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執筆者の写真新谷 恭明

命名

更新日:2019年9月30日

 試行錯誤の結果、なんとかホームページらしきものができてきた。段階としては第二段階まで来たらしい。次の段階は「ドメインを接続」なのだそうだが、おそらくそのあたりから有料になるのではないかというのが気になる。現在、BIGLOBEでやっているホームページ「絶望といふ快楽」はいかにも手作り感満載のゴテゴテしたものになっている。それに対してこちらはスマートだ。こちらが完成したら乗り換えるか。もしくは何らかの形で棲み分けるか。そこはじっくり考えたい。

 このHPがいいのは、きれいなのと、問い合わせページがつけられることだ。徐々にアクセスがなされて、たとえば人権と共生の会の問い合わせなどがこちらで処理できればいいな、と思う。

 おお、そんなわけでブログのタイトルを「隅の親石」にしてみた。このブログの頁に引用しているが、聖書に書いてある言葉だ。元は詩編/ 118編 22節に「家を建てる者の退けた石が隅の親石となった。」とあるものをイエスが引用して教えを説いているのが新約聖書に載っている。「マタイによる福音書」「マルコによる福音書」「ルカによる福音書」「使徒言行録」「ペトロの手紙一」に同じ話が載っている。

 「ペトロの手紙一」第2章2節から8節には次のように書かれている。


この主のもとに来なさい。主は、人々からは見捨てられたのですが、神にとっては選ばれた、尊い、生きた石なのです。あなたがた自身も生きた石として用いられ、霊的な家に造り上げられるようにしなさい。そして聖なる祭司となって神に喜ばれる霊的ないけにえを、イエス・キリストを通して献げなさい。聖書にこう書いてあるからです。

「見よ、わたしは、選ばれた尊いかなめ石を、

シオンに置く。

これを信じる者は、決して失望することはない。」

従って、この石は、信じているあなたがたには掛けがえのないものですが、信じない者たちにとっては、

「家を建てる者の捨てた石、

これが隅の親石となった」

のであり、また、

「つまずきの石、

妨げの岩」

なのです。彼らは御言葉を信じないのでつまずくのですが、実は、そうなるように以前から定められているのです。


 「聖書にはこう書いてある」というのは「詩編」118章22節に「家を建てる者の退けた石が隅の親石となった。これは主の御業。わたくしたちの目には驚くこと」のことである。 そして出た。「かなめ石」だ。「要」すなわち、西南女学院はここで繋がっている。シオンの丘の要。(注;「要」を分解すると「西」と「女」、つまり西南女学院の略称になる。ちなみに西南女学院のマスコットキャラクターは要ちゃん

 


それはいい。いずれにせよ、重要なのは家を建てる者が不要だとして捨てた石こそがかけがえのない親石となったというようなことが書かれている。勝手に解釈すれば多くの人々が捨てたものの中に大切なことがあるということだろう。このブログがそうなればいいと思うのだ。

 


 



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