top of page
検索
執筆者の写真新谷 恭明

鰻だ

 土用の丑の日だったか、ほたるの里という産地直送の店先で鰻を焼いていた。特売ということで、少しは安かったのだろうが、それでもけっこうな値がついていた。

 夜、カミさんと鰻について語った。

「そう言えば、今日、ほたるの里で鰻を焼きながら売ってた。今年は食べてないねぇ」

「そうね、食べるとしても、あんたはいつも遅いから、あんたがいる日でないと」

「ん?」

「だって、鰻はみんなそろったときに食べないとね。だって鰻だから。」

「そうか、そうだね」

 それから何日もしない夜だった。晩酌のビールを取りに冷蔵庫を開けると鰻が2尾真ん中に鎮座していた。「特売」と赤札が貼ってある。お得なのを入手したらしい。カミさんはテレビを見ていたが、特に何も言わなかったし、僕も何も言わないことにした。鰻が2尾。5人で食べるとなると、一人あたりどのくらいになるのだろう。単純な算数の問題が、3次方程式を解くような煩雑さに感じられたからである。白鵬が勝った録画を見てその世は寝た。

 翌日は久々に外での仕事だった。仕事中も例の3次方程式が脳内に浮かんでは消え、浮かんでは消える。方程式を解いて答えを出すのにためらいが出てしまうのだ。その日は珍しく何度もLINEをチェックしたが、特になにも連絡はなかった。なぜか夕食は軽く抑えたので、夜遅くなって小腹が空いた状態で帰宅した。

 いつものようにビールを取りに冷蔵庫を開けた。鰻はなかった。キッチンの周辺を見渡したが、とくになにも余り物があるようではなかった。カミさんはテレビを見ていた。僕がビールをグラスに注ぐとカミさんは

「あたし、眠くてたまらないから、寝るね」

と言って、その日のコロナウィルス感染者情報について語ることもなく、その日の相撲の取り組みについて特に語ることもなく寝室へ消えた。僕はビールを口に含むと相撲中継の録画を早送りしながら見て、寝た。

 翌朝、子どもたちが出掛け、僕も出掛けることにした。玄関先で、

「鰻は美味しかった?」と聞いてみた。

「ああ、鰻。気づいた?気づくよね、美味しかったよ。ゆめタウンのバーゲンだけど、2尾しかなくて。」

「ふうん」

「ダビがね、爺ちゃんがいないけど・・・と言ってた。やさしい子だね。」

「そうか、そうだね」

 その日、鰻が脳内にとぐろを巻いていた。翌日の鰻は脳内で「鰻の歌」を輪唱していた。

 そして、考えた。翌日の昼に所用があって出掛けることになっていたので、帰り道に生協の店舗で鰻を買い、一人で楽しんでみたい。いや1尾だと2回に分けて食べられるか、等 

 その日が来た。所用を済ませ、生協の店舗に立ち寄る。冷凍の鰻があった。その前に立ち、10分ほど眺めていた。値段はいい値段だ。意を決して籠に入れ、レジに向かう。

「えーと、解凍するには、どうしたらいいですかね」

「あ、ちょっと待ってください。持ってきますね」

 店員は奥の方に飛んでいき、小さな紙切れのようなものを持ってきて渡してくれた。なんと解凍して、暖めて、ご飯に載っけるやり方が丁寧に書いてある。

 おかげで帰宅は2時近くなった。解凍は冷蔵庫で6時間とある。買物かごに入れてからだから7時半過ぎになる。それからの調理だが、それまでに原稿を1本でも仕上げて、ご褒美感も味わいたい。

 必死でがんばった。8時を過ぎて仕事に目途がつき、ようやくいただくことにした。うむ、旨い。一人で1尾。これは贅沢だが、いいだろう、僕の小遣い銭だ。



閲覧数:78回0件のコメント

最新記事

すべて表示

消化試合

Comments


bottom of page