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執筆者の写真新谷 恭明

ついに

 昨日の教授会で報告されたのだが、本学もついに在宅勤務となった。教員は基本的に在宅勤務、事務職員も交替など最低限で回す。学生は原則出校禁止。学外者の来訪お断り。

 学生がいなければ、そして会議がなければ、我々はほぼ人と会わないで済む。実際、休講が続いていたが、特に予定のない日は大学で人と会うのは2~3人程度。自家用車で出勤なので途中誰かと接触することもない。あっ、コンビニに立ち寄るから+2~3か。トイレや廊下で何人かすれちがうな。+2~3。

 なるほど、人と会わないようでいて、けっこう接触しているのか。とすれば、在宅勤務はずいぶんと意味があることになる。なのに小・中学校の教員は毎日出勤して家庭訪問をするんだとか。「やめておけ」といいたくなるが、何かしないと、という教員の性向がそうさせるのだろう。教員の、ではなく指図する校長やら教育委員会やらの判断だろう。

 実際、子どもたちの教育をどうするかは学校の責務ではある。子どもの学ぶ権利は保障しなくてはならない。しかし、リスクを冒してまですることではない。この経験自体を子どもたちの大きな学びとすることも必要だろう。また、オンラインでできることや、ネット上の教材を活用させることもあるだろう。ところが、某教育委員会ではそのQRコードを書き込んだ配布物からQRコードを削除させたという。スマホのない家庭もあるかもしれないから、ネットを使えない家庭もあるだろうから、なんだと。

 文科省がそういうのを勧めているというのに。


 結局、忖度するやつらに不忠者は多い。親からのクレーム、外からの圧力、何に気を遣っているのかは知らないが、よくわからないものに対してビクビクしている一面がひとつあるだろう。そう言えば、かなり昔のことだが、部活をやり過ぎではないか、という意見がPTAの会合で出た時、ある教師が

「もっとやってくれという保護者がいるので」

という弁明をした。よく調べてみるとそういう親はごく一部で大半はただ部活の方針に逆らわないだけ。ただ、きびしすぎると思っているということだった。要は一部の大きな声だけに忖度するというまちがいを犯していたのだ。

 もう一つの一面は自分自身しか見えていないということだ。自分がスマホを使いこなせないと、世の中にはそういう親がいっぱいいると信じ込んでしまう。実は教員の方に時代についていけない人が多いのかもしれぬ。そして、何か教師っぽいことをしていればアリバイになると思い込んで、教員を出勤させ、家庭訪問させている。教員がその住居するところから毎日学校に来て、各家庭を回る。いったいどれだけの接触者を持つことになるのか。半端ではない。そしてその教員それぞれの家庭にウイルスを持ち込むことになる。

 


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