毎学期ごとに授業評価というのをやっているのは今や常識となっている。本学でもそうしている。
基本的にはデータを集めた分厚い冊子が配布され、各教員にはそれぞれ「担当教員への意見」という学生の自由筆記による「意見」が付されてくる。それらを参考に「リフレクションカード」というものを作成することになる。その冊子とリフレクションカードがホームページに掲載される。現在2017年度のものが掲載されているようだ。
で、2018年度後期、つまり昨年度後期の授業評価の結果が4月に渡された。その中に以下のような「意見」があった。
〔学生〕正直、教職にさほど関係があるとは思えない授業だった。来年も同じようだと困ります。担当教員をかえてほしいくらいです。
何が教職に関係あるのか。「関係あるとは思えない」という見解には相当に驚いたが、そのことはまあいい。問題は「担当教員を変えてほしい」という要望だ。この「意見」は担当教員に対して出される意見なので、要は担当者に「お前、替われ」ということなのだろう。どうやら目安箱と勘違いしているらしい。とりあえず、このように回答した。
〔回答〕平成31年度から実施される教職課程の再課程認定において文科省に提出した書類には「教育原理」の概要を「人間、子ども、性といった教育の前提になる要素について検証し、家族、学校そして社会という教育環境とその理論及び課題について哲学的歴史的に思考の根拠を身につける」とし、ほぼ今回のシラバスと同様のものを添付し、認定を受けている。これは教育のことと関係のある内容であり、教職をとるのに絶対必要な科目として文科省が認めているものです。使用した文章も教育原理用の教科書です。
ですから「教育原理」は来年も同じようにすることになります。ただし、教育の原理について講義をしたのに教育と関係ないと思われたのは、説明が不足していたということなので、次年度は「教育原理」とは何かについてもう少していねいに説明したいと思います。
また、残念ながら担当教員は一人の学生の意見では変更できません。
「回答した」というのは他の「担当教員への意見」も多々あったので、それらに対して、一応の回答をまとめ、次学期、つまり2019年度前学期の「教職概論」(同じ学生群がこの科目を受講することになっている)の時間に配布した。
で、「教職概論」が終わり、その授業評価がこのほど配布された。そうしたらなんと、「教職概論」の「担当教員への意見」のなかにこういうのがあった。
〔学生〕説明されても意味がわからない。正直この講義はいるだけムダです。言い方もたまにイラッとすることがあります。後期もこの人の授業があると思ったらゆううつでしかたない。先生変えてほしい。
確認してみると、「教育原理」のときに「辞めろ」と書いてきた学生とは学科はちがうようだ。ということは「辞めろ」と思った学生は少なくとも2人いたということになる。これはいささかショックだ。
ともかく、回答をまとめたいのだが、困っている。「説明されても意味がわからない」と言われても、どこがわからないのかがわからないので手の打ちようがない。それで、本日の「教育課程論」(「教職概論」の受講者は「教育課程論」を受講することになる)の配付資料には「わからないことやききたいことを書く」場所を設けて、回収することにした。
あとは講義に出て無駄に時間を潰さなくてもいいように、ていねいな説明を試みるしかない。にしても、だ。100人近い講義なので、学生の顔もよくわからない。そういう程度の関係性の中で僕の何がそれほどこの学生をして「イラッとする」感覚に陥れているのだろうか。そのあたりが現在の僕の胃壁を痛めている。
台風が週末には来るらしい。嵐の中でゆっくり回答案を考えるとしようか。
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