授業評価のデータが出てきた。学生に授業(大学なのだから講義と言いたいのだが)の評価を聞いて改善するというのも、改善の方向が大学教育の質を向上させるのならばよい。しかし、「よい授業」というのはどういうものだろうか。講義であるならば簡単である。講義の中で展開される内容になってくる。以前、日本教育史という講義をしていた頃は毎回テーマを変えて講義したものだ。たとえば「近代の中等教育」とか、「近代化と教育」のようにである。そういうときに「よい講義」というのはどういう内容が講ぜられたか、というところにあったと思う。
しかし、授業評価が導入されてからは、「声が聞こえない」「マイクの使い方が悪い」「板書が見にくい」というようなカタチのことばかりで、中身については「難しかった」「この内容は資格とは関係ない」というように学問の話は出て来ない。もちろんそういう内容にもしなくなってきている。
僕の場合、教職課程だから、教員免許状を取得して教採試験を受験する予定の学生に向けての講義である。当然のことながら教師としての基礎教養と採用試験準備の際の思考の手助けになるような地域や考え方の提供ということになる。学問的にどうの、ということが求められているわけではない。
今回授業評価が返ってきたのは「教職概論」と「教育方法論」。「教職概論」では教員というのはどういう職種であるのか、また教員の仕事にはどういうものがあるのか、といったことがおおよその内容になる。「教育方法論」では教授法やら授業についての知識をいくつか学び、そのあと授業案を作らせ模擬授業をさせてみる。当初は座学でやっていたが、やはり模擬授業のようなカタチにした方が学生はたのしそうだ。ただ、問題点も多々ある。目下お悩み中だ。
しかし、それでもしかし、だ。大学で求められる「よい授業」とはなんだ?「よい授業」がそんなに重要なのだろうか。大学には何か目的を持って学びに来るものである。平石直昭(東京大学教授 当時)が学生時代に丸山眞男教授(当時)の講義を聴いたときの感想を書いている。「先生の話は、いつも新しい見方や深い洞察にみち、ユーモアが織り込まれて、聞いていて実に楽しかった。知的なスリルと、時に背中に電流が走るような感動を覚えた」(「丸山眞男著作集第十二巻 月報12)と。僕自身そんな講義をしようとしたことはあったかもしれないができていたかどうかは記憶にない。
とは言え、丸山教授が「よい授業」の工夫をしていたとは思えない。内容の濃い講義だったことは確かである。経験的に僕は次第に薄い講義をするようになっていった記憶はある。そしていろいろ工夫を加えていったかな。
義務教育ならば学ぶのは子どもの権利であるから、学ぶのが苦手な子どものために「よい授業」を工夫するというのはコメニウス以来の学校教育の問題であった。学校教育とは民衆教育であり、後の義務教育に連なるものである。そこにはいかに学ばせるかという課題があるのだが、それは大学の課題ではなかったはずである。いや、中等教育ですらそこは課題ではなかったと言ってもいいかもしれない。中等教育では何を教えるかは議論となったとしても、どう教えるかはさほど考えられては来なかったと思う。
それは、中等教育以上の教育は学ぶ側に学ぶ責任が着いてきたからだと言える。要は中等教育以上の教育は特権的な教育だったわけで、講義の内容に興味のある学生はそのように学んだし、京南大学の青大将君のようにわるさばかりしていても何の問題もなかったのである。しかし、大衆化は本来大学教育を理解していない人たちが教育に関与してくる。もとい学ぶのは学生であって親は金は出しても口は出すものではなかったのに義務教育と同様に保護者としてふるまうようになる。大学側もステークホルダーがどうとか言う財界人の素人発言に脅されて顧客に媚びを売る経営方針を採るようになった。成人を多く抱える大学で保護者というのもおかしなものだが、大学が媚びれば保護者もその気になるというものであって、共依存関係になって共にお互いを貶めあっていると言ってもいい。
授業評価もそのようなものだろう。大学教育とは何かを知らない、学術研究とは何かを知らない学生の授業評価に狼狽えてそちらに基準を合わせてしまってお互いにダメになってしまう恐れが多分にある。重要なのは授業評価のモノサシがどうしても授業の方法に傾斜してしまう。そうすると講義だけでは評価は上がらない。また、自由記述をさせても教員の個人攻撃のようなものになりかねない。友人のひとりは「あれはテロリストを養成するようなものだ」と憤慨していたのを思い出す。匿名で教員個人を攻撃することを促しているようなものだからだ。
なので、学生の自由記述に関してはきちんと丁寧に回答を作成して、返すことにしている。これは学生との授業の質をめぐっての話し合いだ。こちらにも授業の質についての基準はあるので、そこはこちらの見解も示す必要がある。
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