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執筆者の写真新谷 恭明

不正にまみれた富で友達を作りなさい

 西南女学院大学に勤めるようになって、いろいろな聖書にまつわる話を聞くことが多い。「よきサマリア人」の話、「放蕩息子」の話、「いつも喜んでいなさい」の話など、使われるネタはけっこうよく使われる。殊に新約聖書でイエスはいろいろなたとえ話をして教えを伝えている。それは「 だから、彼らにはたとえを用いて話すのだ。見ても見ず、聞いても聞かず、理解できないからである」(マタイによる福音書13章13節)という。つまり、よくわからない人たちにはたとえて言うのがいいと言うのだ。僕もそれは賛成だ。

 当然、説教や奨励の際にはこのようなたとえ話を使うこと自体、聖書の教えにかなっていると言えよう。ところがなかなか「たとえ」として納得できないものや理解できないものもある。少し長くなるが、次のたとえを読んでもらいたい。

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イエスは、弟子たちにも次のように言われた。「ある金持ちに一人の管理人がいた。この男が主人の財産を無駄遣いしていると、告げ口をする者があった。そこで、主人は彼を呼びつけて言った。『お前について聞いていることがあるが、どうなのか。会計の報告を出しなさい。もう管理を任せておくわけにはいかない。』 管理人は考えた。『どうしようか。主人はわたしから管理の仕事を取り上げようとしている。土を掘る力もないし、物乞いをするのも恥ずかしい。そうだ。こうしよう。管理の仕事をやめさせられても、自分を家に迎えてくれるような者たちを作ればいいのだ。』そこで、管理人は主人に借りのある者を一人一人呼んで、まず最初の人に、『わたしの主人にいくら借りがあるのか』と言った。『油百バトス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。急いで、腰を掛けて、五十バトスと書き直しなさい。』また別の人には、『あなたは、いくら借りがあるのか』と言った。『小麦百コロス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。八十コロスと書き直しなさい。』主人は、この不正な管理人の抜け目のないやり方をほめた。この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている。そこで、わたしは言っておくが、不正にまみれた富で友達を作りなさい。そうしておけば、金がなくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる。ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。だから、不正にまみれた富について忠実でなければ、だれがあなたがたに本当に価値あるものを任せるだろうか。また、他人のものについて忠実でなければ、だれがあなたがたのものを与えてくれるだろうか。どんな召し使いも二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」

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 ここで「不正にまみれた富で友達を作りなさい」という趣旨がよくわからないのだ。まるで安倍さんと加計さんの話のようでもある。

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