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執筆者の写真新谷 恭明

大学の授業

更新日:2019年12月20日

 大学教育というのは、講義、演習、実験だと主張してきた。しかし、いつのまにやら大学でも「授業」という言葉が当然のように大手を振って歩くようになった。「授業評価」は定着したし、「最優秀授業賞」などという莫迦なものも大学によってはある。某大学にいた時、そのようなことを申す教育担当役職者に「講義と授業の違いがわかってますか?」と問うたことがあるが、彼は答えられず、そのまま安倍政権のように提案を押し通した。

 そのように無理強いして大学教育に「授業」を定着させてきたファシズムがあるし、その結果にはもはや逆らえないところに来てしまった。大学の大衆化というのはそういうものだったのだろう。僕自身も原理主義的な講義を聞いてきたわけではない。あるとすれば大学院の時に大田堯先生が数名の院生を相手に講義してくださったのがそれだった。ペラの原稿用紙(200字詰)に書かれた原稿を淡々と読み上げられた。

 おそらくその講義原稿は何らかの書籍となったのだろうと思うが(あれではないかという心当たりはあるが、よしておこう)、今ではそんな書籍化に見あうような質の高い講義はないだろう。ああ、東大の百年史編集室に勤めていた頃、伊藤隆先生が『昭和10年代史断章』という本を出されたが、同じ室員だった伊藤研究室の院生T氏が「あれは講義を採録したものだよ」と教えてくれた。質の高い講義というのはそのあたりまであったのだろう。

 そのような大先生のことはさておき、僕自身について言えば講義は辛い記憶が多い。Q大時代は同じ日本教育史でも毎回テーマを変えていわゆる特殊講義をするのが通例だった。だから講義ノートは常に新作だった、はずだ。暫くは保存していたが、研究室を引き揚げたときから見ていない。たぶん休呆堂の何処かにあると思う。しかし、手慣れてきた頃から準備はサボっていたような気がする。だいたいその学期のテーマを決め、それに関連する史料を取りそろえるところまでの準備だったような記憶しかない。

 某教員養成大学で非常勤講師を頼まれた時に教育実践史を標榜して講義ノートを作った。これは文章化していた。けっこうな著作物にしていたのでいろいろと使い出があった。他の大学での講義にも使い回ししていた。もう一つはとある私立大学で非常勤講師をしたときに「なぜ学校で学んだことは役に立たないのか」というような疑問符のあるタイトルをつけて日本教育史を講義した。これは後に某県立大学で「教育思想論」というような科目を頼まれたときに、これを再検討してマジに原稿化してみた。Q大の別名称の科目でも使い、ブラッシュアップした。これは出版社に掛け合って書籍化する話を進めていたが、退職再就職のどさくさで流れてしまった。とは言え、今でもいろんな場面で活用していて、重宝しているのだ。やはり疑問に思うことはたいせつなのだ。

 で、Q大の退職は1年前であった。定年迄勤め上げるのが奉職なので中途退職はいわば「後ろ足で砂を蹴って出て行く」ようなものだから、慶事にしてはならないと旧帝大的に考えていたので、退官儀式はいっさいしないでもらうように根回ししていた。ただ、自分なりの総括ということもあるので、最後の半期の講義を最終講義と位置づけて自分なりの日本教育史を講じてみた。ま、講義ノートなしで語ったのだが、だらしのない教員人生だったからそれでよかったのだろう。しかし、講義の最終日は場所を学部の会議室に変更させられ、なぜか院生のKさんが僕に質問をし、それに延々と90分答えてしまい、それを教育哲学のF准教授がスマホで録音し、研究室の紀要に載せてしまった。それがいわゆる最終講義になったのかな。

 そんなことを書きたかったのではない。

 問題はその後の講義だ。現在の西南女学院大学に赴任したところ、担当することになったのは教職課程の科目である。「教育原理」(1年後期)、「教職概論」(2年前期)、「教育課程論」(2年後期)、「教育方法論」(3年前期)という形で進める。いずれも今まで未経験の講義である。同時にこの大学では長年非常勤で「人権と社会」という講義を担当してきた。これは専任になっても続くことになっていた(非常勤講師手当はなくなった)。

 この講義で、ある時たいへんなことに気づいた。試験の時になぜか何人もの学生が意味のわからない答えを書いてきたのである。「どうしたのだろう?」とよくよく考えてみたら、板書を学生諸君はそのまま写していたので、黒板に書いてある前半のある事象について書いたことを写し、後半その脇に書いた板書の別の事象を写したら、その2つが1つのこととして合体して解答欄に書き込まれていたのである。

 さらにもう一つ。講義中、興が乗ってきたので熱弁をふるっていたら、一番前にいる学生が、「先生、邪魔です。板書を写せません」と言ったか言わなかったかは覚えていないが、そのように僕が邪魔だと言わんばかりのパフォーマンスで板書を写していたので、「そんなに写したいなら、写メしろ。僕はいっこうにかまわん。板書より僕の話が大事なのに」とぼやいた。

 そのとき気づいた。学生たちは板書を写すことを学びと思っている。僕が大田先生の講義をきちんとノートできなかったのは研究室内での少人数講義で黒板もホワイトボードもなく、聞くだけだったからだ。ならばあらかじめ板書を配布しておけば、講義のなかで必要と思ったことはそこに書き込めばいい。で、自分の講義の板書を僕自身が写メして、翌年の講義にはそれをワープロに打ち直して、配付資料とした。これはいいアイディアだったと思う。Q大の機関教育院ではmoodleというICT教育システムが導入されていたので、ここに板書ノートをwordファイルでアップし、参照資料もPDFで挙げておいた。パソコン必携なので、学生はパソコンをオンにした段階で出席が登録され、wordの板書ファイルに自分で書き込めばいい。で、その日のショートレポートも時間を区切っておけばそれまでにネット上で提出できる。これは便利だった。

 西南女学院でもmoodleは看護学科では使っているが、全学では活用されていない。僕の講義は学科横断なのでこれを使うことはできない。ここはなんとかしてほしいと思っているし、教務と情報の職員の方もそうしたいと考えてくれている。

 そのような経緯のために、講義に関しては板書のレベルは講義用レジュメとして配布している。なので、板書はほとんどしなくてすむ。しかし、問題は学生がそれを理解して活用してくれているかどうかである。見ているとある学生は配布した板書ノートに書き込みながら学習成果を蓄積しているようだが、そのノートがあれば満足と言うことで後は寝てしまう、というのも少なくはない。

 で、こういうノートは一度作ってしまえば使い回しができると考えてしまうわけで、いわゆる「同じノートを繰り返し使い回す老教授の工夫のなさ」みたいな世間の批判はそこに集まっていた時期がある。しかし、事前に内容を学生に提示するという、言い換えれば知識の切り売りをすることが大学の正しいあり方だみたいな大学観が押しつけられてきて、シラバスが義務づけられたのはいつ頃からだったろうか。もちろん文章として完結した上記の講義ノートなどはその意味では国策に即したものであったろう。

 しかし、一定の講義をしても毎度反省点はあるもので、配付資料は毎回書き換えられるのである。まあ、講義は生きているということなのだな。で、この書き換えがたいへんなのである。今回も教育課程論の講義は途中までしか進まずに終わった。なので、前年のファイルは全面的に書き換えなければならなくなる。まずは前回の途中を冒頭に持ってきて、あらためて今週のレジュメを作り直す。一年経てばその間の世間と僕自身の問題意識の変容と深まりは変わってきているので、書き換えたくなるのだ。それが一段落すると教育原理の方も見直したくなる。かくして、週末をこの作業に費やしてしまった。

 11月は土日が学会や集中講義や諸イベントで埋め尽くされていたので、その作業は平日におこなわれる。研修日である火曜日は授業の翌日ということもあり、授業に関しては考えたくないので、自分の仕事に費やすことにして、水、木、金にその作業をした。

 あ、その前に、いずれの授業も最後に15分取ってその日の講義の内容にかかわる課題を出し、文章を提出させる。だいたい配付レジュメの最後のページの下半分を切り取って提出するようにさせているので、配付するレジュメは奇数枚にしなくてはならないという原則も生まれてしまった。これは出欠カードの代わりでもある。それらを読んで、時にコメントを加え、学科別に分けて、ネット上の出欠登録を済ませるという作業があることを忘れてはならない。この作業に使う時間も半端ではない。両科目合わせて今年は160人分ある。根を詰めるとかなりしんどくなる作業なので、丸一日費やすことも少なくない。やめてしまえばいいのにと思うが、これを通して学生の理解の具合や、関心のあり方がわかるのでやめるわけにはいかない。また、返却は講義を始める前にひとりずつ名前を呼んで手渡しする。これも学生から「代わりに配りましょうか」などと申し出ていただいたこともあるが、少しでも学生一人ひとりと向き合いたくて(そのくせなかなか顔と名前が一致しない)手渡しを続けている。

 要は授業の準備と後始末だけで生活時間の大半を潰している状態なのだが、週に何コマもこなしている諸教員の方々はいったいどうされているのだろうか。訊いてみたいが、なかなか訊くに訊けない話でもある。

 とは言え、板書をあらかじめ配付してしまうという手法の結果、授業のスタイルは講義となった。黒板に一字も書かずに終わることだってある。

 そう言えば、集中講義の解答紙が120枚ほど放置されている。これも近々片づけねばならないのだが、A3!にびっしり書かれているので、今、手に取ってすぐに戻したところである。そろそろ出してくれとその大学では待っているにちがいない。



 


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