top of page
検索
執筆者の写真新谷 恭明

遺失物捜査

更新日:2019年12月20日

 まずい。身辺からいろいろなものが姿を消す。居所は研究室、仕事場である休呆堂、そして自宅である。日々この3箇所をめぐっているので、何かが姿を消すのはその3箇所に限られる。あとは移動の途中である。通常は汽車やバスの中なのだが、おおむね車通勤なので、その確率は低い。

 今、姿が見えないのはとあるトートバッグと一冊の書籍だ。トートバッグはミラーレスのカメラを納めるのにちょうどいいので、重宝していた。カメラをそれに入れてリュックに押し込むとレンズが外れない。しかし、リュックが重たくてやっかいなときはカメラを持たないで休呆堂に置いていくことがしばしばある。

 12月7日と8日は某大学で集中講義だったので荷造りをした。6日は大学での用務を終えてから大分入りすることになっていたので、荷造りは5日に始まっている。休呆堂に小さなケースがあるのを発見。それにカメラを入れるとちょうど良かった。そのケースはどうやら血圧計のものらしかった。このときカメラが例のトートバッグに入っていなかったあたりから怪しい。で、ケースに入れたカメラを大分に持って行くかどうかにしばし悩んだが、持って行く決断した。6日朝、リュックとキャリーバッグを整えて、車に積み込み出勤する。仕事が終わり、赤間に戻り、赤間から特急ソニックに乗って大分に出かけた。

 つまり、本来入っているはずのトートバッグにいつの頃からかカメラは別れを告げていたのだ。そのバッグが消えたのはいつのことだろうか。たぶん数日前なのだろうが、一切記憶にない。

 で、もっと重要なやつ。書籍だ。今、読んでいる書籍があって、今度書評しようと思うようになり、線引き用のボールペンを挟んで熟読していた。いつも鞄に入れて読んでいた。大分にも持って行った。特急の中はなかなかの読書空間だからだ。

 問題は水曜日のことである。大牟田に出張だったので電車の中で読もうとしたがその書籍が見当たらない。やむを得ず別の本を鞄に詰めて出かけた。大牟田の仕事が終わって休呆堂に戻って探したが、その書籍は見当たらない。自宅に戻ってなにげに探したが、形跡はない。で、木曜に出勤して研究室を探したが見当たらない。で、夜休呆堂を探してもない。自宅でもないのである。今思うのはやはり研究室かな、と。明日は再度研究室を探してみることにしようと思う。

 いろいろ記憶を遡って考えたが、どうやら火曜日の午前中にとある場所で読んでいたことはまちがいなく、そこに電話をかけて確認したが、遺失物としてはなかった。で、今、一番怪しいのは研修日だというのに夕方から会議のために出かけていった研究室ではないかと思うのだが、研究室は他のものも含めて昨日も一日中捜し物をしていたので、見つける自信がない。しかし、ひょんなものも時々出てくるので、見つかるかもしれない。

 ということで〔続報〕

 ひょんなところというのはだいたいいつも見ているところであることが多い。昨夜もいつも目の前の見えるところに置いてある「おくすり手帳」が消えている。次に医者にかかるときに困るだろう。少し焦った。そう言えば、パスポートと似たような百均のケースに入れていたな、ということを思い出し、イメージを思い浮かべた。今、パスポートは自宅においてある。しかし、いつもは休呆堂のあのあたりにおいていたな、とあのあたりに目をやるとそのあたりに見覚えのあるビニールケースがあった。みっけ、である。

 で、それを取りに行ったら足下に何やらもそっとした色の濃い何かがあるトトロでいうまっくろくろすけが出番を待っているような状態だ。そっと手を伸ばすとこそっと逃げたような気がした。で、追いかけるように二の手を伸ばす。端に指先が触れたので、今度は思い切りかがみ込んでそいつを掴むと見失っていたトートバッグであった。みっけ、である。

 うむ、調子がいい。確かカメラをトートバッグから出して、その上にあるパソコンで写真をいじくったのが数日前であった。そうすると、時間の問題である。読みかけの書籍だ。ここまでアリバイを潰していった結果、最も怪しいのは研究室になる。しかし、かなり執拗にあちこちの紙の山を崩して探索した。とりあえず、今日(12月14日土曜日)は1限目が補講である。あるDVDを見せて子ども観を考えさせるので、教員としては楽な時間だ。しかし、ギリギリだと視聴覚機器の作動に手間取ることがあるとまずいので、早めに着くように家を出た。土曜日なので道は空いている。一般道で行ったが、当初の予定より15分早く、始業時間の30分前には到着した。余裕である。

 ドアを開けて室内に入る手前のテーブルの上の紙の山をざっくり眺め、一部を剥がしてみたがなにも出てきそうにない。地層はかなり古いものだったからだ。次にデスクの上だ。パソコンは2台置いているが、その向こう側は丘というか、古墳のような感じで盛り上がっている。一部を掘り起こしてみるが、ここも地層は古い。で、振り向いて書棚や床の上に置いてあるバッグ類を確認する。いずれも一度ならず二度三度はチェックした記憶がある。

 ん?あれは某大学の集中講義の試験答案が入っている紙袋だ。数日中に採点しなくてはならないのだが、・・・と考えたところで記憶を差し戻してみた。

 大分から帰ったのは8日の日曜日。いったん休呆堂に帰り、荷物を仕分けして自宅に持ち帰るもののみを車に載せて帰宅した。月曜は講義かあるので、大学に直行したので休呆堂には立ち寄っていない。その日の帰りは休呆堂に立ち寄り、簡単な食事をして整骨院に行き、自宅に戻った。そして火曜日、某所でその書籍を読んだことはまちがいなく、その場所に忘れてきたわけでもない。午後に大学に出て夕方からの会議に出席した。この某大学の答案はこのとき携えて研究室に運んだものだ。

 紙袋に近づく。その大学の封筒が顔を出して、パタンと橫になっている。薄いからだ。厚ければ立つ。これが思い込みだった。厚くたって橫になる。その場合を物理学的な計算をしながら紙袋の把手をつかみ引き上げる。立たない。バランスが悪いからだ。そして反対方向に横たえ、把手を開いて中を覗く。みっけ、である。

 遂に捜し物をみつけた。それはこの老化した脳(かの名探偵の如く灰色の脳)が行方不明の書籍の足取りを丹念に追い、アリバイを潰していき、動向を推理した末に発見した真実がそこにあった。僕は感動に打ち震え、その書籍を紙袋から取りだした。しっかりとボールペンが挟まり、読みかけの熱意までか伝わってくる。

 生還した書籍をパソコンの脇に置き、僕は意気揚々と講義室に向かったのだ。


閲覧数:37回0件のコメント

最新記事

すべて表示

消化試合

Comments


bottom of page